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記憶や経験をアーカイブしてコンポスト化する

NTT出版が運営する、人/自然/テクノロジーのつながりを問いなおし、新たな〈距離〉を考えるメディア「DISTANCE.media」でドミニク・チェンさんが執筆していた記事がとてもよかったのでメモ。

ジャーナリングを通じて、「わたし」の記憶を漬けることが、「記憶のケア」にもなり、「わたしたち」が立ち上がるということなど、様々な観点で語られています。

このnoteでは、コンテンツやメディアを中心に、自分の活動領域のヒントになりそうなところを引用して残します。

まとめてしまうとノイズとして捨象されてしまうような微かな知覚や感情の記録の集積から、自分でも気付けないような問いが創造されるのではないかという仮説を込めて、「微創造」(microcreativity)という造語を提案しました。

このように記録の形式を改造しながらジャーナリングを続けてきて、経験の記憶がコンポスト化、というか、「ぬか床化」してくるのを感じています。ある記憶を漬けておくと、別の記憶との相互参照がはじまったり、無意識のうちに反復していた言葉があることに気づくと、そこから新しい問いのページを切り出したりなど、要素同士の化学反応が自然に起こってくる。そうすると、正確な記録を付けることや、記憶力の向上とか検索性の確保といった、効率や利便性などの功利的な目的意識は自ずと後退し、日常生活のなかに微小な問いやエピファニーの種が付着していることに気がつくようになります。忘却の過程で消えていく部分があることも受け容れながら記憶の面倒を見ていると、体内や環境に遍在する微生物たちの代謝活動のように、自分や他者という器のなかで起こっている無数の「微創造」を見守る視点が浮かびあがってくるのです。

ドミニクさんの記事では、わたしに生じる変化やわたしたちに対する眼差しがどう変化するかという点に言及されていました。個人的に「経験や記憶をコンポスト化する」「微かな知覚や感情の記録の集積から気付けないような問いが創造される」といった点が響きました。

この数年、メディアやコンテンツの可能性として、アーカイブという面に着目しています。個人よりももう少し広げたコミュニティという単位でのアーカイブを残すということは、コミュニティの経験や記憶をコンポスト化し、コミュニティでの微創造を促すという捉え方もできるのではないかと。

これまでもコミュニティやアーカイブについてつらつらと考えてきたのですが、新しいレンズを手にできた感覚があり、この問いを深めていきたいなぁと思います。


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