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「コレクティブ・メモリー(集合的記憶)」とアーカイブ、ナラティブについてのメモ

最近、友人と話していて、コレクティブトラウマ(集合的トラウマ)の話から、コレクティブ・メモリーの話になりました。

コレクティブトラウマとは、個人が依拠する共同体との結びつきの喪失による外傷を指すとされます。

集合的トラウマとは社会生活 の基本的組織に対する打撃を意味する。この打 撃は、ひとびとを愛着をもって結びつけている絆に損傷を与え、共同体のうちに生きているという一般的な感覚を傷つける。集合的トラウマは、それをこうむるひとびとの意識にじわじわと作用してゆく。潜行的にと言ってもよい。

だからふつう「トラウマ」ということで連想される、突然さという性質を持たない。しかしそれでもやはり集合的トラウマは衝撃の一形式である。それは、支え合いの効果的な源泉(effective source of support)としての共同体がもはや存在せず、自己の重要な一部が消失してしまったことの段階的な自覚なのである。

社会学者カイ・T・エリクソンによるバッファロー・クリーク洪水災害(1972年)の報告書である『Everything in its Path』より

コレクティブトラウマ自体も理解を深めていきたいテーマではあるのですが、これとセットで話をしていたのがコレクティブメモリーです。

コレクティブ・メモリー(集合的記憶)とは、ある社会集団の記憶、知識、情報の共有プールで、その集団のアイデンティティと有意に関連するものを指す。集合的記憶は、大小の社会集団によって構築され、共有され、継承される。これらの集団の例としては、国家、世代、コミュニティなどを挙げることができる。

Wikipedia「Collective memory」より訳

その時の会話では、コレクティブトラウマの蓄積に対してどう向き合うか、コレクティブメモリー同士の間に起こる摩擦を衝突という形でなく解消するためにはどのようなアプローチが考えられるかといったテーマでした。

個人的には、そちらのテーマも深めていきたいと思いつつ、コレクティブメモリーというテーマと、先日ブログでも触れたコミュニティ・アーカイブとの関係、コレクティブメモリーと組織文化などのつながりについて考えたいという興味が生まれています。

コミュニティにおける様々な記録や記憶をアーカイブし、それらの集合的な記憶がアイデンティティと紐づくことを踏まえた上で、どんなナラティブをコミュニティ内で生成するかを考える。どのような記憶を構築、共有、継承するかに対して働きかけるというのはメディアや組織文化といったテーマにも通じるものがあるなぁと思うのです。


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モリジュンヤ
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