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分人的職業人というあり方と社会のなめらかさ

先日、紹介した書籍『ふたしかさを生きる道具』のなかに、「分人的建築家」という表現が登場していたことを踏まえて、分人と職業、社会との関わりに関しての雑記。

「分人(dividual)」とは、小説家の平野啓一郎さんによって「個人(individual)」に代わる新しい人間のモデルとして提唱された概念です。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格を持ち、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えるという考え方。

上記の「分人的建築家」とは、自身が持つ人格のひとつを建築家とし、大家や店舗運営者などの面も持って活動するという意味合いで書かれていました。そうすることで、自分の社会における役割を一面に規定しすぎることなく、様々な可能性を確かめることができると考えられます。

なんらかの専門家として活動している職業人が、自身の可能性を広げていく上での考え方としても参考になるのではないでしょうか。個人的に、この考え方には非常に共感する面があり、少し前に書いた多様な生業をつくり、ブリコラージュすることに通じると考えています。

勉強家の兼松佳宏さんが提唱する「BEの肩書き」という概念のなかで、ドローン俯瞰図として語られているものにもつながるところがありそうですね。自分を俯瞰して見たときに、どんな側面があるかを考えてみるというもの。

人は多面的な生き物です。見せる面を限定してしまうことは、自分を特定の役割の人格だけに押し留めてしまうことにもなります。場面を限定して、短期的に捉えると、そのほうが円滑なようにも見えますが。

より多くの面を見せながら関わることで、周囲とも様々な観点からコミュニケーションが可能になり、なめらかに物事が動くようになる可能性が生まれます。これは『ふたしかさを生きる道具』でも触れられていたこと。

自らを俯瞰し、複数の分人を自覚しながら、それらの全体性を持って生きる。そうする個人が増え、互いに交流することで生まれる社会のなめらかさというものが、ありそうな気がしています。


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