「自己検閲」を外すライティングプロセス
書籍『自分の「声」で書く技術――自己検閲をはずし、響く言葉を仲間と見つける』を読みました。この書籍のなかで紹介されていたライティングプロセスを経てみようと思い、書籍の感想ログを書いてみました。
「文章を書く」「ライティング」という行為について考える。この言葉は人によって抱くイメージが異なる。「何を書くのか」によって違うのだ。そのため、ライティングについて悩みや課題を抱えているとして、その解決につながるものが何になるかは異なってくる。
クライアントの依頼を受けて、目的を達成するためのコンテンツをつくる手段としてライティングを提供する仕事を考えてみよう。日本語で「ライター」と呼ばれる仕事をする人たちだ。このとき、ライティングにとって欠かせないのは「目的」だ。
目的を達成するために、どのような内容をどのような順序で伝えていくかという「設計図」が重要になる。その設計図がない状態で書き始めて、できあがったあとに「これじゃない」となってしまうと、関係者にかかる負担が大きいためだ。
これは全く正しい。自分も、仕事でライティングに携わる際は常に「目的は?」という確認を行っている。だが、「ライティング」とは、依頼主の目的を達成するためのものだけではない。もっと、もっと広い。自分が考えたこと、伝えたいことを言葉にするのもライティングだ。多くの人にとっては、こちらのほうがライティングのイメージに近いだろう。
目的の設定から行うライティングを続けていると、自分の内側から言葉を紡ぎ出して文章を書くという行為のハードルが上がってしまう。なにかアイデアや思いの源泉があったとしても、それを設計するより前につぶしてしまう。そうなると、自らの思考や感覚は、言葉に、文章にならない。
「自己検閲」という言葉を見たときに、この自分の状態をなんと的確に表した言葉なんだろうと感じた。自己検閲に悩まされて、自分の考えや書きたいことから遠のいてしまっていた。これはブログのような誰かに向けての文章もそうだし、自分の日記のような文章においてもそうだ。自分のなかで検閲や制限をかけることなく、考えたことをしっかりと出す。
読んだ本のなかではこれを言葉の「成長(Growing)」と呼んでいた。成長を経て、「料理(Cooking)」を行って、最後に「編集」を行う。それがライティングの発達モデルだという。なるほど、たしかに書いている最中に文章が発達していくという考え方は面白い。このプロセスにおいて各ステップで語られている内容は他の書籍等でも触れたことはあった。それらをまとめた、ひとつのプロセスとして受け取ってみると、不思議と自分はこれを探していたのだとしっくり来る。
この本のなかでは、仕事としてライティングをする際のライティングプロセスを古いモデルとして紹介されていた。だが、新旧で表現されるよりも、使い分けが重要なのだと思う。だが、自分がなにを求めているのか、どのようなプロセスが適切なのかがわからなければ、プロセスを選ぶことはできない。そして、プロセスに自覚的でなく、よいアウトプットが出るというのも幻想に近い。プロセスを自覚し、プロセスを改善するのは重要なのだ。ライティングに限ったことではないが。
従来のライティングプロセスのモデルは「エンジニアリング」的だ。それに対して、新しいライティングプロセスのモデルは「ブリコラージュ」的と言えるかもしれない。
「書く」ことは苦しい。だが、苦しいばかりでなく、たしかな喜びがある。その喜びや楽しさを思い出し、取り戻していきたいと思わせてくれる書籍だった。