「支援」と「感謝」の交換を前向きに受け入れられる社会へ
助けてもらいたかったあの頃の自分
2010年3月、僕は大学を卒業して、フリーターになった。今でいうアドレスホッパーのような暮らしをしながら、パラレルワークをする生活を2ヶ月ほどしていた。
どうにも就職活動というものに馴染めなかったからでもあるし、在学中にリーマン・ショックを経験した自分にとって、収入のポートフォリオを分散させるという発想に惹かれたからでもあった。
が、当然、新しいスタイルだったこともあり、苦労も多い。実際には収入は思うように上がらず、日々必死だった。自分で選んだ道であるにも関わらず、焦る気持ちや、自分は何をしているんだという気持ちは日々募っていた。
その様子は周囲にも伝わっていたのだろう。当時、仕事を一緒にしていた人から、こんな言葉をかけられた。
「今はね、きっと大変なときだと思う。でも、本当に辛い時っていうのはね、誰も助けてくれないんだよ」
一見、冷たい言葉に映るかもしれない。けれど、僕にとっては厳しく優しさに溢れた言葉だった。この言葉を聞いた僕は、一気に冷静になれた。
僕は、なぜ誰も助けてくれないのかと、どこか自分が被害者のように考えてしまっていたことに気づけた。自分の認知のゆがみに気づき、腹をくくって前を向いてからは、いろんなめぐり合わせがあった。
それ以来、人は助けられることを前提とするのではなく、自律するからこそ支援が得られ、物事は前に進んでいくのだというのが僕の基本の考えになった。
当時の僕は困っていたし、助けてくれようとしてくれた人もいた。けれど、最も助けられたと思えたのはこの一言だった。わかりやすくその人が困っていることに応えるというだけでは、助けることにはならないというのも学んだ。
「人を助ける」とはどういうことか
「親切のつもりで」「相手の助けになるように」と考えた上での行動が、実は相手にとってはそうでなかったということは多い。日常の様々な場面で発生している。そもそも、人を助けるとはどういうことなのだろう。
そう疑問に思った僕が手にとったのが、組織行動論の大家、エドガー・H・シャイン氏の著書『人を助けるとはどういうことか――本当の「協力関係」をつくる7つの原則』だった。
「ヘルピング」が原著の書名となっていて、支援学とも呼ばれる内容が記載されている。どんな支援の状況も、プロセス・コンサルタントの役割を果たす支援者によって始められ、以下のことが実行されねばならない
・状況に内在する無知を取り除くこと
・初期段階における立場上の格差を縮めること
・認識された問題にとって、さらにどんな役割をとるのが最適化を見極めること
シャイン氏は、同書の中で支援のためには関わり方を見直す必要があると述べている。そもそも「支援する側」と「支援される側」とに分かれていては、対等な状態ではなく不均衡だ。助ける側と助けられる側など本来存在しない、と考えないといけないのだろう。
これは、精神障害をかかえた人びとが共同生活を送る北海道・浦河町のグループホーム「べてるの家」について書かれた書籍『べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章』を読んだときにも感じたことだ。
本来、人は助けられるのではなく、苦労を受け入れ、向き合っていくからこそ自律していける。「助ける?そりゃ無理だ。君が勝手に一人で助かるだけだよ」と、化物語の忍野メメも言っていた。
日常のふとした支援への抵抗をなくす
「助ける」「助けられる」は固定された関係ではない。いつだってお互いにどちらの立場になりえる。さらには、人は助けられるのではなく、自分で自分を助ける。
助ける・助けられることは日常の出来事であり、特別なことではない。だから、本来肩に力を入れることなく受け入れていったほうがいい。にもかかわらず、その日常における支援に対する向き合い方を変えていかなくてはいけないのではと感じる。
人は体調を崩すこともあれば、自分ではコントロールできないことで時間の都合がつけられないときもある。それは仕方ないことで、誰かの手を借りなければならない。そのときに「すみません」と言ってしまう人があまりにも多い。
当人から無意識的に出てくる「すみません」という言葉は、一体誰に向けたものなのだろう。社会に一人で生きていける人間はいない。ぼくたちは日々誰かに助けられている。そんな日常の行為に対して、いちいち謝罪していてはなんとも生きづらい。
会社の中で誰かが休むたびに謝罪が飛び交うような状態はヘルシーじゃない。これをなんとか変えていきたいと思う。シャイン氏は、著書の中でチームワークも支援関係だと定義していた。
「私は『チームワーク』という言葉を、一緒に働かなねばならないグループの全メンバーを含めた、相互の多様な支援関係の状態と定義している。したがってチーム・ビルディングとは、単にクライアントと支援者の一つの関係を作ることではなく、メンバー全員における人間関係をつくることなのである」
支援関係は日常の至るところにあり、チームワークとはメッシュ状の支援関係だ。だから、普段の業務の中で、助け合うのは当然のこと。誰かが「すみません」というごとに「そこは謝るところじゃないよ」と伝えている。「支援関係が前提」であり、「困ったときはお互い様」なのだから。
そうやって認識の変化をつくり、助ける助けられるの関係を紡ぎ直し、本来人が向き合うべき苦労を取り戻せるようにする。それが、今の社会に求められていることなのだと思う。「助ける」「助けられる」という行為に対する物語を書き換えていかないといけない。
助けてもらったときに「迷惑をかけた」と思ってしまう社会よりも、「助けてもらってありがたい」「次は自分が誰かを助けよう」と思える社会のほうがきっと生きやすい。
だから、誰かに何かをしてもらったときには「たすけてくれてありがとう」と伝えるようにしよう。
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この記事は、こくみん共済 coop × noteの「#たすけてくれてありがとう」コンテストの参考作品として書かせていただきました。
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