不便益と習慣
「不便益:benefit of inconvenience)」という言葉がある。不便であることから得られる効用に着目した概念だ。
ここ数週間、自宅のオートロックが故障しており、郵送物の受取のために集合住宅の入口まで取りに行かなければならなくなっている。非常に不便だ。だが、次第にこの不便さによる利を感じるようになってきた。
Amazonでの買い物やUberEatsでのフードデリバリーなど、自宅に居ながらにして様々なことが可能になった。コロナ禍で自宅に滞在する時間が増えたことも重なり、あまりの便利さに注文のハードルが下がっていた。
「さすがにこの習慣はまずいのでは…」と頭の片隅で考えつつも、なかなか人は利便性の高さに抗えない。だが、オートロックの故障によって、思いがけず利便性が損なわれたことによって、ボタンをポチッと押すことに躊躇するようになった。
新たな習慣を身につけるためには、できるだけ行動のハードルを下げることが重要だ、とはよく言われることだ。自分にとって悪しき習慣をなくしたいのであれば、その逆をやればいい。つまり、行動のハードルを上げる。
自分が意図したわけではなかったが、Amazonでの買い物やUber Eatsでの注文の頻度は激減した。そこに、自分の強い意志は必要なかった。
ちょっとした経験をしたことで、不便益と習慣について考える機会が増えた。不便益はビジネスにおいて考えるヒントとして語られることが多いが、個人にとっても有用なレンズではないかと思う。
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