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物語とジャーナリズムの境界を探る、ナラティブノンフィクションの実践

「書き方の再発明」はここ数年考えているテーマの1つです。あちこちで、新たは手法の発明に取り組んでいる様子が散見されます。

HEAPSには、本人には取材せず、周囲への取材と観察からノンフィクション作品のように記事を仕上げる「ニュージャーナリズム」に取り組む、ゲイ・タリーズさんのインタビュー記事が掲載されていました。

「言葉を着飾らせて慎重に言いまわしを選び上品な動きをくわえる。踊りの振りつけのように。ジャーナリズムには、平凡なジャーナリズムとシリアスなジャーナリズムがあって、アーティスティックに書かれた後者はもはや“文学”であり、芸術にもなりえる。私はジャーナリズムを、画家や作曲家、劇作家たちがつくる芸術の境域にまで引き上げたかったんだ」

この記事では、事実描写を詩的に仕上げることで、ノンフィクションをあたかもフィクションのようなリズムとテンポで伝えることが「ニュージャーナリズム」と表現されています。

この記事を読みつつ、ノンフィクションの伝え方には、まだ色々な可能性がある、と改めて感じました。この記事で、以前オランダ人ジャーナリストのヨリス・ライエンダイクさんに取材したときに聞いた話を思い出しました。

彼は、ジャーナリストが物事をすべて知っているというスタンスではなく、読者とともに複雑な世界の問題を理解していく「ゼロからはじめるジャーナリズム」のアプローチをとっています。

著書『なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?』では、ロンドンの金融街で働く人々にインタビューを重ね、匿名で紹介していった連載がまとめられています。

その連載では、取材において特定のコミュニティに入り込む文化人類学的なアプローチを重視。周囲から偏見を持って見られやすい人々のありのままを伝えていくためには必要なアプローチです。

ただ、そのまま文章化しても読んでもらうことは難しい。そこで、彼は文章化する際に「ナラティブ」を重視。著者自身を登場人物として扱い、「ゼロから」金融のことを知っていく様子を描きながら、インタビューした人々の等身大のストーリーを伝えていきました。

ヨリスさんは、この描き方を「ナラティブ・ノンフィクション」と呼んでいました。著名人を取り上げるのではなく、無名な人やメディアには登場していないけれど、面白い人を描く手法として、ヨリスさんの手法とゲイ・タリーズさんの手法には共有する点があると感じられます。

ゲイ・タリーズさんも、HEAPSのインタビューの記事の中で、

「私は、無名の人を読者に紹介したい」

と語っていました。文化人類学的にコミュニティに入り込むフィールドワーク的なアプローチや、人のありのままの話を聞いていくライフストーリーインタビュー的なアプローチは運営している『soar』でも意識的に取り入れていること。

より多くの人に関心を持ってもらうために、取材方法のアップデートのみならず、彼らが実践したような「ニュージャーナリズム」、「ゼロからのジャーナリズム」や「ナラティブ・ノンフィクション」といった文章化の部分もアップデートに取り組んでいかなければいけません。

まだまだ荒削りですが、inquireで運営している『UNLEASH』でも、書き方の発明に挑戦してみています。

取材の仕方や記事の書き方もまだまだ発明の余地があります。プロセスを分解して、各プロセスに新しい方法を取り入れていけば、新たなアプローチが生まれるのではないかと考えています。


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